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≪松高アーカイブス≫ ~激闘の記憶~

 

次は徳栄だ!松山、聖望破り24年ぶり4強入り/埼玉

 


 第97回全国高校野球選手権大会埼玉大会準々決勝(25日、松山2-1聖望学園、市営大宮球場)こちらも県立校がミラクルを起こした。松山がBシードの聖望学園を下し、24年ぶりの4強入り。瀧島監督がまくしたてた。
「投手を中心によく守ってくれた。選手は集中力を切らさなかった。今日ばかりは褒めてあげたいです」 

 先発の北島が1失点完投の好投。守りも無失策で九回二死から右中間の大飛球を右翼手・滝島が好捕するなど、左腕を再三の好プレーで支えた。

瀧島監督は滑川(現滑川総合)監督時代の1998年に夏の甲子園に出場。松山を「以前と比べてロースコアの接戦をものにできるようになった」とチームの成長を感じている。
 26日の準決勝は花咲徳栄戦。「去年の秋に負けた。しっかり戦って勝ちたい」と北島。県内有数の進学校が準決勝突破に挑む。
 
(平成27年7月26日 サンケイスポーツ新聞)
                     
 

OB90人が演奏  

 


   15年ぶりの準々決勝進出だった松山のスタンドには、吹奏楽部OB90人が集まり、松高伝統の“メロディー”で勝利を後押しした。
同部の現役生たちは合宿中で不在。憂えたOBの森堅史さん(41)がフェイスブックで呼びかけ、23日の5回戦から参加。登場2試合目となったこの日の聖望学園戦でも、懐かしの応援歌など11曲の楽譜を持参し、三塁側から大音量で盛り上げた。

 森さんは「このまま甲子園まで連れて行ってほしい。後輩たちと共に自分たちも演奏したい」と、現役時代にかなわなかった「夢舞台」に思いをはせていた。
 
(平成27年7月26日 毎日新聞)
                     
 

松山は24年ぶり/埼玉  

 


   夏の埼玉大会で1984年に準優勝するなど「県立の雄」として知られた松山が、伝統の粘り強さを見せた。
強豪・聖望学園を相手に先制された直後の四回、2死から西山創一塁手(2年)が左前打で出塁し、チームの雰囲気が一変した。 この日初めて試合に出場し、いきなり4番に座った西山選手。「西山はマスコットキャラクター」(滝島達也監督)と評される「愛されキャラ」の安打でベンチが盛り上がった。

続く川崎泰雅中堅手(3年)の中前打でチャンスを広げ、鈴木武虎捕手(2年)が右前に逆転の2点適時打。その後は北島佳太投手(3年)が、打たせて取る投球で聖望打線に得点を許さなかった。

 西山選手は「自分の安打から流れがチームに引き寄せられたのはうれしい」と笑顔。滝島監督は「接戦でしか勝ち目はないと思っていた。松高の試合ができた」と興奮した様子で語った。
 
(平成27年7月26日 毎日新聞)
                     
 

好機逃さず決勝打 松山・鈴木捕手 

 


   松山打線は、聖望学園の主戦松本投手を攻めあぐねていた。変化球も直球も、甘い球は来ない。
1点を追う四回2死から西山創選手(2年)が左前安打、川崎泰雅選手(3年)が中前安打を放ち一、二塁。打席に向かう捕手の鈴木武虎選手(2年)は「こんな好機は、もう来ない」と覚悟していた。

カウント2-1。相手投手の手を離れた瞬間、「直球が真ん中に来る」。力をためたフルスイングで右前適時打を放ち、敵失も呼び込み一挙2点。これが決勝点となった。自分のミスが三回の失点につながったと思い込んでいただけに、喜びよりも「よかった!」という気持ちが強かった。

 聖望学園打線を警戒した松山バッテリーは、スライダーと直球を内外角に投げ分け、打たせて取る戦術を貫いた。これに守備陣が再三の好捕で応えた。鈴木選手は「基本に忠実とか、全員力というのはこういうことなんだと改めて思った」と接戦を制し、笑顔を見せた。  
 
(平成27年7月26日 朝日新聞)
                     
 

練習なしに合奏 「伝統校の底力」 松山 

 


  今年で学校創立92年、24年ぶりの4強進出がかかった松山の応援席も、野球部員や在校生、OBら1千人以上で盛り上がった。
応援の中心は応援団と吹奏楽だが、吹奏楽の方は全員がOB。現役部員が合宿のため来られず、OB会がフェイスブックで呼びかけたところ、19~53歳のOB約90人が楽器持参で駆けつけた。
朝に集まったばかりで事前練習もなし。それでも試合中は、応援曲を次々と奏でた。呼びかけ人の出版会社経営森竪史さん(41)は「これが伝統校の底力」と胸を張る。仕事などで球場に来られず、残念がっていた人も多かったそうで、「準決勝には、もっと大勢で来ますよ」  
 
(平成27年7月26日 朝日新聞)
                     
 

『松高愛』4強後押し 球場にあふれる大合唱

 


   球場に響き渡る「松高愛」の大合唱。25日、準々決勝の市営大宮球場で、伝統校の松山が優勝候補の一角、聖望学園を破り1991年以来、24年ぶりに4強入りを果たした。

松高カラーの紫紺一色に埋め尽くされた三塁側スタンドは歓喜に揺れた。ベスト8入りは15年ぶり。久々の上位進出に大勢の応援が駆け付けた。スタンドに入り切れなかった人たちは開放された左翼席から声援を送った。

 吹奏楽の演奏は有志のOB。コンクールに向けて合宿中の現役生に代わり、5回戦から駆け付けている。「高校以来のスタンド演奏。男性ならではの力強い演奏で相手を圧倒したい」と最年長の佐藤真史さん(53)は意気込む。指揮棒を振るのは和木優馬主将の兄駿太さん(20)。 「5回戦の16人を大きく上回る90人近くが集まった。この応援が選手に届けば」とやる気十分だ。

 大勢の現役生とOBらによる校歌で試合開始。三回に1点を先制された直後の四回に反撃した。2死から3連打と相手の失策も絡み、あっという間に逆転に成功。スタンドは肩を組んでの大合唱。 その後は再三のピンチに見舞われながら、気迫で乗り切る松高ナイン。八回1死二、三塁の一打逆転の大ピンチを好投好守でしのぐと、応援団は惜しみない声援で選手らをたたえた。 1点リードで迎えた最終回。1ストライク、1死ごとに地鳴りのような大歓声。最後の打者を打ち取ると、スタンドには笑顔と涙が入り乱れた。「勝ったぞ、勝ったぞ松高」。平林孟団長(17)はその瞬間、思わず涙。「無我夢中だった。最初から盛り上がり、人数の多さを生かしたいい応援ができた」とかすれた声で振り返る。

24年前、エースとして4強に導いた隈谷俊一さん(42)も外野席から後輩の活躍を見守った。「どきどきしたが、粘り強くよく守っていた。チームワークの良さと守備の堅さは24年前と変わらない」と当時のメンバーらと喜び合った。
 チームの勝利とともに膨れ上がる伝統の力、「松高愛」。準優勝した1984年以来、31年ぶりの決勝進出へ、準決勝の県営大宮球場でもナインを後押しする。

(平成27年7月26日 埼玉新聞)
                     
2015年7月25日  対 聖望学園高校  市営大宮球場 
(平成27年 夏)
 
第97回 選手権埼玉大会 準々決勝
TEAM   RH E
松 山 0 0 0 2 0 0 0 0 0 2 7 0
聖望学園 0 0 1 0 0 0 0 0 0 1 8 0
      
投 手  北 島
捕 手  鈴 木
 
MATSUYAMA
SCENE
オーダー 出身校
1 清 水 [4] (深谷川本)
2 滝 島 [9] (川越高階)
3 石 井 [7] (鳩 山)
4 西 山 [3] (東松山東)
  大 戸 5 (嵐山菅谷)
5 川 崎 [8] (嵐山玉ノ岡)
6 鈴 木 [2] (東松山北)
7 和 木 [6] (川越大東西)
8 赤 津 [5]3 (熊谷江南)
9 北 島 [1] (北 本)
北 島
鈴 木
 十五年ぶりに迎えた松高の夏・準々決勝。相手は春季大会で敗れた優勝候補の一角・聖望学園。両校エース同士の投げあいで始まった。試合が動いたのは三回裏、聖望の攻撃。走者三塁から、サードへの強襲ゴロの間に1点を奪われ今大会初めて先制を許す。 一方、松高も翌四回表、二死から今大会初出場で四番に抜擢された西山がレフト前へ弾き返すと、続く川崎も連打で続く。そして迎えた絶好調・鈴木武虎。大会屈指のエース松本が投じた外角球をライト線へ弾き返し、二人が生還。2-1と逆転し、序盤を終える。 投げてはエース北島も猛暑の中、低めに制球し、打たせて取るピッチングで聖望打線を翻弄した。
 そして最終回、最後まで気の抜けない聖望打線から北島を救ったのは我らが主将・和木であった。相手打者の放ったサード後方へのフライを全速力で追いかけ、見事ダイビングキャッチ。一気に勝利を手繰り寄せた。 松高ファンで埋まる三塁側スタンドは大歓声に包まれた。
 そして、最後は北島コールが起こる中、最後の打者が放った右翼線への飛球もライト滝島が懸命の猛ダッシュで追い、見事なスライディングキャッチでゲームセット。今年の松高野球部を象徴するかのような二つのスーパープレーで締める劇的な幕切れであった。 なかなか崩せなかった強豪・聖望学園から、秋・春・夏通じて公式戦初勝利を手にした。と同時に図子田、隈谷、山岸(現松高コーチ)が達したベスト4へ二十四年ぶりに届いた瞬間でもあった。
 最後に、合宿中の吹奏楽部が参戦できず、演奏なし応援かと懸念された。その危機を救ったのは吹奏楽部OB有志たちであった。五十年を超える松吹会の連携で、90名近くのOB関係者が結集し、大音響を轟かせ野球部に勇気を与えた。 松高の躍進は野球部の活躍もさることながら、吹奏楽部OBたちの母校愛が不可欠であったことも特筆しておきたい。

 

                     
2015年7月23日  対 本庄第一高校  市営大宮球場
(平成27年 夏)
     
第97回 選手権埼玉大会 五回戦
TEAM   RHE
本庄第一 0 0 0 0 0 0 0 0 0 6
松 山 0 0 3 0 4 0 × 7 8 0
      
投 手  北 島
捕 手  鈴 木
 

 五回戦の相手は今や“夏の本一”と言われ、松高と同じく粘り強いチームカラーを持つ強豪・本庄第一。熱戦が予想された。 松高は今日も先制点を挙げ、流れを掴みたいところ。三回裏、松高の攻撃。滝島、石井の連続スリーベースヒットで先制を挙げる。 五回にも鈴木の2点タイムリーやダブルスチールなどで相手のミスを誘い一挙に4点を挙げ、一気に試合を決めた。 
 終わってみれば、北島がノーヒットノーラン(七回参考)の快勝。2000年以来、15年ぶりのベスト8進出を決め、相手のお株を奪う“夏の松高”が本領を発揮した一戦であった。
                     
2015年7月19日  対 立教新座高校  上尾市民球場
(平成27年 夏)
     
第97回 選手権埼玉大会 三回戦
TEAM   RHE
松 山 1 4 0 0 1 0 0 0 0 1 7 9 2
立教新座 0 0 2 0 0 0 1 3 0 0 6 12 3
      
投 手 北 島-金 子-衛 藤-北 島
捕 手 鈴 木
 

 今大会屈指の好カードが目白押す上尾球場付近では大渋滞が起こり、駐車も困難なほど高校野球ファンで溢れた。松高は初戦に続き、活発な打線が序盤に火を吹く。 清水の二打席連続三塁打や滝嶋のタイムリーなどで五点を先制。しかし、相手は強力打線を誇る立教新座。三回裏、犠飛などで二点を奪われると、終盤八回裏に連打を浴びついに同点に追いつかれる。そして嫌な流れのまま最終回へ。 二死満塁の大ピンチを迎える。そして北島の投じたボールを相手打者が捕える。打球は高々とレフトへ。スタンドの誰もがこれまでかと思った瞬間、一年生の頃から出場し、チームの顔でもあるレフト石井がダイビングキャッチし、サヨナラのピンチを凌ぐ。これで流れは松高に。延長十回表、走者三塁から相手バッテリーのパスボールにより得点。 これが決勝点となり逃げ切った。
 これまで延長戦で苦い想いが続いてきた松高野球部。夏の延長勝利は、じつに昭和61年以来の勝ち星。この大一番は夏の躍進を予感させる薄氷の大勝利であった。
               
2013年9月26日  対 栄北高校  上尾市民球場
(平成25年 秋)
 
秋季県大会 三回戦
TEAM   R
栄 北 0 0 0 0 2 0 0 1 1 4
松 山 2 0 0 1 0 0 0 0 5
      
投 手 北 島-岡 崎
捕 手 那 須
 

 三回戦の相手は総合力で上回る猛打の栄北高。試合は誰もが予想だにしない劇的な幕切れであった。松高は初回、四球で得た走者を一塁におき、三番・那須による左越え本塁打で初戦に続き2点を先制する。その後、1点追加し迎えた五回表の相手の攻撃。内野ゴロと犠飛で2点を献上し、1点差に迫られる。松高打線は突き放しにかかりたいものの、相手投手が立ち直りなかなか追加点が奪えない。一方、先発・北島は毎回ランナーを背負う苦しいピッチング。しかし、粘りの投球で相手強力打線を抑える。 迎えた八回、犠飛でついに同点に追いつかれ、さらに九回にはタイムリー三塁打で逆転を許す。
万事休す。もはやここまでかと思われた最終回の攻撃。一死満塁から那須が四球を選び押し出しで同点。なおも二死満塁で新人戦から好調の金子が代わったばかりの相手投手の初球をセンター前に打ち返しサヨナラタイムリーを放ち、劇的な勝利を収めた。実に平成二年以来、23年ぶりの秋ベスト8進出を決めた。
               
2011年7月12日  対 桶川高校(Bシード)  県営大宮球場
(平成23年 夏)
  
第93回 選手権埼玉大会 初 戦
TEAM   R
松 山 0 0 1 0 4 0 1 0 0 6
桶 川 2 0 0 0 0 0 3 0 0 5
      
投 手 野 沢―丹 羽 
捕 手 渡 辺 
本塁打  
三塁打  
二塁打  
’11 MATSUYAMA
SCENE
オーダー 出身校
1 斎 藤 [7] (坂戸千代田)
2 笹 川 [8] (鴻巣赤見台)
  清 水 H (熊谷富士見)
  8 (新座第二)
3 丹 羽 [4]1 (滑 川)
4 金子章 [3] (鴻巣西)
5 市 川 [9] (東松山松山)
  青 柳 9 (川越西)
6 金子拓 [5] (富士見東)
7 野 沢 [1] (吉 見)
  鈴 木 4 (と・都幾川)
8 渡 辺 [2] (東松山東)
9 本 間 [6] (坂戸浅羽野)
  笹 沼 6 (鶴ヶ島)
 前年秋に敗戦(5-6)した因縁の対決。戦前の予想通りの接戦となった。序盤にエラー絡みで2点を献上、桶川ペースで進む。
 そして球場上空に風が舞い始めた五回。二つの外野フライ落球に助けられ、同点。なおも丹羽、金子の連続タイムリーで一挙に5点を奪取した。七回に3ランを浴び、猛追を喰らったが、この日2打点を挙げた丹羽の好リリーフもあり、一点差を逃げ切り、Bシード(春季ベスト4)から金星をもぎ取った。
2009年7月11日  対 滑川総合高校  上尾市民球場
(平成21年 夏)
  
 第91回 選手権埼玉大会 初 戦
TEAM   R
松 山 0 0 0 0 0 3 4 0 1 8
滑川総合 0 2 1 0 0 0 0 0 0 3
      
投 手 戸 澤 
捕 手 星 野 
本塁打  
三塁打  
二塁打  
’09 MATSUYAMA
SCENE
オーダー 出身校
1 山 崎 [6] (東松山北)
2 荻 原 [5] (鶴ヶ島)
3 星 野 [2] (東松山南)
4 横 瀬 [8] (小川東)
5 大 島 [3] (北本宮内)
6 青 木 [7] (小川上野台)
7 間 部 [9] (東松山北)
8 永 野 [4] (東松山北)
  中 山 H (川越西)
  佐 藤 4 (熊谷江南)
9 戸 澤 [1] (寄居城南)
 13年間、滑川総合を率いた瀧島部長が松高に着任し、松崎・瀧島体制で臨んだ夏。まさかの前任校との対決となった。 序盤エース戸澤の制球が定まらず、本塁打を浴びるなど3点を奪われる。無得点のまま迎えた六回、横瀬の右越え三塁打、大島のスクイズで同点追いつく。七回にも主将・星野の遊内安打で一点追加し、なおも満塁から横瀬の中前2点タイムリーで勝負を決めた。四回以降は戸澤が立ち直り、見事完投。エースとしての意地をみせた。四番・横瀬の3安打5打点の活躍もあり、逆転勝ちで‘因縁の一戦’は終止符を打った。夏は98年にコールド負け(甲子園出場)以来の対戦となり、臥薪嘗胆、松高陣営としては雪辱を果たす一戦となった。 
 
2008年7月19日  対 熊谷商業高校  大宮市営球場
(平成20年 夏)

力投実らず“豪腕”去る

  
 第90回 選手権北埼玉大会 4回戦
TEAM   十一 R
松 山 0 0 0 0 0 0 1 1 2 0 2 6
熊谷商 0 0 1 0 0 2 0 1 0 0 7
      
投 手 山 形 
捕 手 竹ノ谷 
本塁打  
三塁打  
二塁打 吉 永  竹ノ谷  山 形  松 本 
’08 MATSUYAMA
SCENE
オーダー 出身校
1 忠 平 [8] (富士見水谷)
2 松 本 [4] (深谷花園)
3 竹ノ谷 [2] (と・都幾川)
4 山 形 [1] (寄居城南)
5 吉 永 [7]3 (深谷藤沢)
6 高 野 [9] (富士見水谷)
  志 塚 R (滑 川)
  山 崎 6 (東松山北)
  星 野 H (東松山南)
  田 中 R6 (小川東)
7 石 橋 [3] (飯能加治)
  間 部 H7 (東松山北)
8 三 春 [5] (ふじみ野大井)
9 寺 島 [6] (東松山北)
  横 瀬 H9 (小川東)
 エースのユニフォームは血だらけだった。延長十一回二死、二、三塁。その頭上を打球は越えていった。まさかのサヨナラ負け。九回の土壇場で振り出しに戻し、延長十一回に2点を勝ち越した。それでも3時間22分、右指の血まめがつぶれながら190球を投げきった山形の力投は、報われなかった。山形の右中指に血まめができたのは五回だった。九回にはつぶれた。ユニフォームで血をふきながらの力投。 だが思うようにストライクが入らない。2点を勝ち越した十一回裏、あとはエースが抑えるだけだった。だが、一死から三振を挟んで3四死球で満塁にされると、捕逸で1点を返された。そして3番塚越に投じた7球目。甘く入ったスライダーを中前へとはじき返され、終止符が打たれた。その場で崩れ落ちるナインの中で、エースは気丈に振る舞った。右横から繰り出す最速140キロは超の力強い直球で、今大会でも注目の右腕だった。梅雨が明け本格的な夏を迎える前に、山形は舞台を去った。
(埼玉新聞 引用)   
2008年4月27日  対 花咲徳栄高校  県営大宮球場 
(平成20年 春)
 

松山が第1シード徳栄下す 

           
春季県大会 初 戦
TEAM   R
花咲徳栄 0 1 0 0 0 0 2 0 0 3
松 山 1 1 0 0 2 0 0 0 × 4
投  山 形
捕  竹ノ谷
二  横 瀬 
 
 絶対的エースの山形が強力打線相手に3失点の完投勝利。2-1の五回、吉永の適時打と石橋の決勝打で2点を追加し、秋季覇者で関東8強の花咲徳栄から見事に金星をあげた。 
 
2005年7月17日  対 所沢商業高校  川越初雁球場
(平成17年 夏)
  
第87回 選手権埼玉大会 3回戦
TEAM   R
松山高 0 0 0 0 5 0 0 0 0 5
所沢商 2 1 0 0 0 2 0 1 × 6
      
投 手 黒 須 
捕 手 蓮 見 
本塁打 町 田 
三塁打  
二塁打 蓮 見  高 橋 
’05 MATSUYAMA
SCENE
オーダー 出身校
1 谷 田 [7] (川越鯨井)
2 国 田 [4] (川越富士見)
3 永 野 [5] (東松山北)
4 蓮 見 [2] (ときがわ玉川)
5 山 口 [3] (嵐山菅谷)
6 町 田 [9] (川越鯨井)
7 高 井 [8] (東松山南)
8 黒 須 [1] (毛呂山川角)
9 高橋系 [6] (東松山南)
 古豪所沢商戦。序盤に3点を奪われ、苦しい展開で迎えた五回表。主将町田の特大アーチを含む長短四安打の猛攻で一挙5点を奪い球場のボルテージは最高潮に。しかし、その後逆転を許し‘所商ブルー’の前にあと一歩及ばなかった。
2002年5月2日  対 浦和実業高校  上尾市民球場
(平成14年 春)
    
春季県大会 準々決勝
TEAM   R
松 山 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
浦和実 0 0 0 0 2 1 0 0 × 3
      
投 手 小 濱 
捕 手 塩 田 
本塁打  
三塁打 内 田 
二塁打  
’02 MATSUYAMA
SCENE
オーダー 出身校
1 有 馬 [8] (鶴ヶ島)
2 石 田 [4] (滑 川)
  小 林 H (東松山松山)
  岩 渕 4 (鳩 山)
3 大 橋 [5] (小川欅台)
4 内 田 [9] (北 本)
5 橋 本 [3] (富士見西)
6 保 泉 [7] (東秩父)
7 塩 田 [2] (坂戸浅羽野)
8 小 濱 [1] (鳩 山)
9 新 屋 [6] (坂 戸)
  守 屋 6 (鶴ヶ島西)
 西部地区から北部地区に編入して臨んだ春季大会。二年生主体の若いチームであったが、地区代表決定戦において優勝候補の一角・東農大三に延長の末、勝利し県大会へ進出。勢いそのままに前年秋季に大敗した飯能高も撃破し、二年ぶりに準々決勝へと駒を進めた。そして迎えた浦実戦。一年夏から登板している左腕小濱の完投もむなしく、好調打線が沈黙し0-3の零封負けであった。 
 
2000年7月27日  対 埼工大深谷高校  大宮市営球場
(平成12年 夏)
  
第82回選手権埼玉大会 準々決勝
TEAM   R
埼工大深谷 0 0 0 0 1 1 0 3 0 5
松 山 0 0 0 0 0 0 0 0 1 1
      
投 手 藤 田 
捕 手 柴 崎 
本塁打  
三塁打  
二塁打  
’00 MATSUYAMA
SCENE
オーダー 出身校
1 岡 田 [8] (坂戸千代田)
2 小 嶋 [7] (北坂戸)
  石 塚 H (小川上野台)
  野 田 7 (川越第一)
  斎 藤 H (坂 戸)
3 赤 坂 [3] (鶴ヶ島)
4 藤 田 [1] (東松山南)
5 相 蘇 [4] (富士見本郷)
6 渡 辺 [5] (吉 見)
7 柴 崎 [2] (寄 居)
8 山 下 [9] (鶴ヶ島南)
  伊 藤 R (東松山北)
9 龍 澤 [6] (川越寺尾)
 埼工大・若林主将、松山・藤田主将の同中学校対決にも注目が集まった一戦。背番号「2」のエース藤田は五回まで無安打の力投を見せたが、八回につかまり3失点。最終回に赤坂の右安打で1点を返すものの変幻自在の巧投手・高山の前に自慢の打線は3安打に抑えられた。藤田、赤坂、岡田、渡辺などタレント揃いの代で、春夏ベスト8を果たした。
 
2000年7月20日  対 川越高校  県営大宮球場
(平成12年 夏)
 

「絶望」越えサヨナラ2ラン

  
第82回選手権埼玉大会 3回戦
TEAM   R
川 越 0 0 0 0 1 0 0 0 0 1
松 山 0 0 0 0 0 0 1 0 3
      
投 手 北 原-藤 田 
捕 手 藤 田-柴 崎 
本塁打 渡 辺  
三塁打  
二塁打 小 嶋  龍 澤  相 蘇 
’00 MATSUYAMA
SCENE
オーダー 出身校
1 岡 田 [8] (坂戸千代田)
2 小 嶋 [7] (北坂戸)
3 赤 坂 [3] (鶴ヶ島)
4 藤 田 [2]1 (東松山南)
5 相 蘇 [4]9 (富士見本郷)
6 渡 辺 [5] (吉 見)
7 山 下 [9] (鶴ヶ島南)
  相 澤 4 (毛呂山)
8 龍 澤 [6] (川越寺尾)
9 北 原 [1] (毛呂山川角)
  柴 崎 H2 (寄 居)
  1-1で迎えた九回、一死後、相蘇が二塁打でおぜん立てし、打席には渡辺。カウント1-2から内角へのカーブを思い切りたたいた。
青空に高く舞い上がった白球。「入れ!」心の中で強く叫んだ。選手が、スタンドが、球場にいた全員が左方向へ飛んだ打球の行方を追った。川越の左翼手が見送った。伝統校に決着をつけたサヨナラ2ラン。出迎えた仲間にもみくちゃにされながら、ヒーローはガッツポーズで喜びを爆発させた。
 絶望からの復帰だった。一年生の夏、渡辺は練習試合中に左ひざじん帯損傷の重傷を負った。つらく長いリハビリの日々。何度もやめようと思った。しかし、挫折しそうなところを支えたのが家族と仲間だった。「うれしさと感謝の気持ちでいっぱいです。チームのみんなと、もっと野球をやりたかった。これでやっと恩返しができた。」感極まって涙を流す背番号5。
 劇的な勝利に歓喜の松山応援歌が球場に響き渡る。「空は晴れたり 気は澄みぬ」。 接戦の中で友情を深めた松山ナインを温かく包み込んだ。

 (埼玉新聞 引用)
 
1997年7月23日  対 上尾高校  川越初雁球場
(平成9年 夏)   
 第79回 選手権埼玉大会 4回戦
TEAM   十一 十二 十三 十四 十五 十六 十七 R
松 山 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1
上 尾 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 2
      
投 手 島 田 
捕 手 若 松 
本塁打  
三塁打  
二塁打  
MATSUYAMA
SCENE
オーダー 出身校
1 小川達 [8] (ときがわ玉川)
2 龍 澤 [4] (大井東)
3 浅 野 [5] (東松山南)
4 倉 上 [6] (川越名細)
5 [7] (東松山北)
  飯 島 R7 (深谷花園)
  橋 本 H7 (東松山南)
6 [3] (東松山南)
7 島 田 [1] (小川西)
8 若 松 [2] (上福岡三)
9 井 上 [9] (鶴ヶ島藤)
  平 野 H9 (川越寺尾)
  井 上 H9 (鶴ヶ島藤)
灼熱、酷暑、炎天下。そのような文言が一切通じないほどの暑い一日が始まった。松高生、ファンが続々と終結し、内外野まで立錐の余地がない程ぎっしりと埋め尽くされ、試合前から 異様な熱気に包まれた初雁球場。そして島田、中村両投手の投げ合いが始まった。
両校とも攻め手を欠きながら、ようやく七回に松高が先制し均衡を破った。迎えた最終回、虎の子の1点を守りきれず、ついに追いつかれる。しかし、 その後も両投手の息詰る投手戦が続く。衰えることのない上尾スタンドの野球部員、チアリーダーの声援。対する松高大応援団による応援歌の大応酬。両校とも一歩も 引かないがっぷり四ツ相撲を展開した。延長中、球場では試合経過の問い合わせ電話が鳴り止まなかったという。
 そして迎えた延長十七回裏、走者を二塁に背負い、打者はその日四安打の大山。迎えた大ピンチの場面。何度も何度も逆境を乗り越えてきた。そして島田投手が投じた渾身の一球を捉えた大山の打球は右中間に大きな放物線を描く。球場が一瞬 静まり返った次の瞬間、打球は中堅手・小川のグラブを越えて、グラウンドへ。それを見てサヨナラの走者が生還し、3時間31分の大熱戦は幕を閉じた。泣き崩れた小川は仲間に担がれてようやく整列につくことができた。
 終了後、球場全体からは両校への惜しみない拍手が沸き起こる。特に松高生たちから、選手たちへその日一番の声援が送られ、いつまでも止むことはなかった。
そして試合後、ユニフォームと学ランを交換しての野球部・応援団恒例の記念撮影を行いつつ、互いの健闘を労いあった。
 高校野球は筋書きのないドラマとよく言われる。しかし、この試合にはそれは用意されていた。この一戦で我々松高生は揺るぎない絆を深めるというものである。しかし、 その内容は少し違った。このドラマには想像以上の‘演出’が用意されていたのだ。これぞ“松山劇場”であった。松高生の、松高生による、母校愛を確信するための ‘ひと夏の’松山劇場を味わったまさに松高冥利に尽きる一日であった。
 また、この日をもって、当代野球部父母会は‘延長17回’と名づけられた
1997年7月21日  対 浦和実業高校  川越初雁球場
(平成9年 夏)
  

3点差九回二死・・・そしてドラマが開幕

  
第79回選手権埼玉大会 3回戦
TEAM   R
松 山 0 0 0 0 0 2 0 0 4 6
浦和実 0 0 0 3 1 1 0 0 0 5
      
投 手 島 田-長谷川-後 藤-島 田 
捕 手 若 松-長 峰 
本塁打  
三塁打  
二塁打 倉 上 
’97 MATSUYAMA
SCENE
オーダー 出身校
1 小川達 [8] (ときがわ玉川)
2 龍 澤 [4] (大井東)
3 浅 野 [5] (東松山南)
4 倉 上 [6] (川越名細)
5 [7] (東松山北)
  北 沢 R7 (川越南古谷)
6 若 松 [2] (上福岡三)
  飯 島 H (深谷花園)
  長 峰 2 (鶴ヶ島藤)
7 [3]93 (東松山南)
8 島 田 [1]31 (小川西)
9 平 野 [9] (川越寺尾)
  長谷川 1 (東松山南)
  橋 本 H (東松山南)
  後 藤 1 (日高高萩北)
  井 上 H9 (鶴ヶ島藤)
 3点を追う九回二死。夏の恒例ともなった“松山劇場”はここで開幕した。
1,500人の応援団が、総立ちで応援歌の大合唱。球場を覆い、ナインの闘志をグイグイ揺する。打席に向かう選手の目の色が違う。中前打、死球、内野安打。たちまち2点。大団円は、全く当たりの出なかった浅野の中前打。鋭い打球音を残したボールが中堅手に届いたとき、二人の走者がホームを駆け抜けた。6-5の大逆転。
松山は大応援団も戦力のひとつ。ピンチ、チャンスでの大声援が選手に目に見えないエネルギーを与え、時にこうした劇的な場面を見せてくれる。  (埼玉新聞 引用)  
 
1996年7月23日  対 所沢北高校  朝霞市営球場
(平成8年 夏)
  
第78回 選手権埼玉大会 4回戦
TEAM   R
所沢北 0 0 2 0 0 0 0 0 1 3
松 山 1 1 0 0 0 0 2 0 × 4
      
投 手 内 田 
捕 手 犹 守 
本塁打  
三塁打 田 辺 
二塁打 山 中  石 井 
’96 MATSUYAMA
SCENE
オーダー 出身校
1 山 中 [9] (鳩 山)
2 横井川 [6] (東松山北)
3 古 山 [3] (上福岡一)
4 堀 井 [5] (川越名細)
5 石 井 [7] (川越初雁)
6 茅 沼 [8] (東松山東)
7 犹 守 [2] (嵐山菅谷)
8 内 田 [1] (寄 居)
9 田 辺 [4] (鶴ヶ島藤)
 前年夏・春でいずれも破れた因縁の相手、所沢北。‘打倒 所北’として試合前から朝霞球場一塁側スタンドは異様な緊張感に包まれていた。 2-2で迎えた七回裏、一死三塁から四番・堀井の右犠飛により、勝ち越し。なおも二死二塁で茅沼の中前タイムリーで決勝点を上げた。守っては内田の粘投と相手の拙攻による三併殺もあり、三度目の正直で見事リベンジを果たしベスト16を決めた。勝利の瞬間、松高応援席では各ファンが持っていた紫色のメガホンが空高く舞うほど、待ち望んだ勝利であった。
1995年5月3日  対 浦和学院高校  県営大宮球場
(平成7年 春)
  
春季県大会 準決勝
TEAM   R
松 山 0 0 3 0 0 0 0 3
浦和学院 3 2 0 2 0 3 × 10
      
投 手 村 上-中 村 
捕 手 持 田 
本塁打  
三塁打 村 上 
二塁打 村 上 
’95 MATSUYAMA
SCENE
  
オーダー 出身校
1 松 原 [6] (霞ヶ関東)
2 服 部 [8] (鶴ヶ島南)
3 持 田 [2] (深谷花園)
4 笛 木 [3] (川 島)
5 村 上 [1]9 (鳩 山)
6 石 井 [7] (川越初雁)
7 古 山 [5] (上福岡一)
8 内 田 [9] (東松山松山)
  中 村 1 (川越名細)
  渡 辺 4 (上福岡二)
9 大 滝 [4] (坂 戸)
 中山新指揮官を迎えての春季大会。西部地区予選から苦戦は続いたものの、持ち前の粘り強さであれよあれよの間に四年ぶりのベスト4に進出した。怒涛の快進撃で鷲宮(選抜出場)、越谷西(夏・甲子園)を撃破して臨んだ準決勝、対浦学戦。序盤に本塁打などで5失点。3回に笛木、村上の集中打で三点を返したが、終始苦しい展開で進み、最後は力の差が出てしまった。  
 
1995年5月2日  対 越谷西高校  県営大宮球場
(平成7年 春)
  
春季県大会 準々決勝
TEAM   R
松 山 0 0 0 0 0 0 0 0 5 5
越谷西 0 0 0 0 0 0 1 1 0 2
      
投 手 中 村-八木田-小 菅 
捕 手 持 田 
本塁打  
三塁打  
二塁打 古 山 
’95 MATSUYAMA
SCENE
オーダー 出身校
1 松 原 [6] (川越霞ヶ関東)
2 服 部 [8] (鶴ヶ島南)
3 持 田 [2] (深谷花園)
4 笛 木 [3] (川 島)
5 村 上 [9] (鳩 山)
6 石 井 [7] (川越初雁)
  飯 島 R7 (深谷花園)
7 古 山 [5] (上福岡一)
8 中 村 [1] (川越名細)
  八木田 1 (小川上野台)
  内 田 H (東松山松山)
  小 菅 1 (坂戸住吉)
9 大 滝 [4] (坂 戸)
 大会屈指の左腕鈴木功擁する越谷西高戦。終盤に2点を奪われ、万事休すかと思い迎えた最終回。松原の四球と服部、持田の内野安打で無死満塁とし、四番・笛木の中前安打で同点。続く村上が死球、石井の中前安打で見事に逆転した。さらに古山の右前安打で2点を加え、一挙5点の猛攻で四年ぶりの春ベスト4を決めた。

   
1993年7月28日  対 浦和学院高校  大宮市営球場
(平成5年 夏)

『サヨナラの松山』に浦学がサヨナラ勝ち

           
第75回選手権埼玉大会 準々決勝
TEAM   十一 R
松 山 3 2 0 0 0 0 0 0 0 1 0 6
浦和学院 0 0 1 0 2 0 0 0 2 1 7
投  水 村-木 檜-江 田-大 山
捕  石 倉
本  小 菅  江 田
二  小 菅  石 倉

 終盤の驚異的な粘りで2試合連続のサヨナラ劇を演じ、ここまで勝ち上がってきた松山が‘サヨナラ負け’を喫した。一、二回に江田、小菅の本塁打で5点を奪い試合を有利に進めたが、終盤にエース水村がつかまり、打線も中盤の好機に加点できなかったことが響いた。 

                ≪応援も戦いだ≫ 
 選手たちにとって何よりも心強い味方になるのがスタンドからの大応援だ。特に同高の応援はその迫力とまとまりの良さが有名で、球場の近所の人が、わざわざ応援見たさに足を運ぶほど。その中心となっているのが三十三人の応援団員。サングラスあり、ひげ面ありと見た目はちょっといかついが話してみれば、普通の高校生。団長を務める小川団長は「応援も戦い。これで負けなければ、試合のほうでも負けない。」と気合が入るが、「自分達が目立つのではなく、他のお客さんにいかに乗ってもらうかが大切」と縁の下の力持ち役を強調していた。

                            (埼玉新聞 引用)

1993年7月27日  対 上尾高校  川越初雁球場
(平成5年 夏)

松山また逆転サヨナラ

  
第75回選手権大会  5回戦
TEAM   R
上 尾 0 0 2 0 0 0 4 0 0 6
松 山 3 0 0 1 0 0 0 0 7
      
投 手 大 山-江 田 
捕 手 石 倉 
本塁打  
三塁打  
二塁打 江 田  木 檜 
’93 MATSUYAMA
SCENE
オーダー 出身校
1 上 田 [8] (東秩父)
2 小 菅 [6] (坂戸住吉)
3 伊 藤 [7]3 (東松山松山)
  高 徳 R (川越高階西)
4 江 田 [3]1 (東松山松山)
5 桑 原 [9] (上福岡三)
6 石 倉 [2] (北坂戸)
7 山 口 [4] (玉 川)
8 伊 田 [5] (吉 見)
9 大 山 [1] (坂戸千代田)
  木 檜 8 (上福岡三)
 松山が四回戦に続き、またも劇的な逆転サヨナラで勝利をもぎとった。

 ≪奇跡2度呼ぶ 松高野球≫
 勢いの差なのか。逆転を許してもしょげたりしない。それどころかますます熱くなる。松山が粘りの真骨頂を発揮して、再び「大どんでん返し」をやってのけた。 九回裏、2点を追う松山最後の攻撃。「もう一試合やりたいな。」円陣の中で大塚監督が選手に呼び掛ける。-「ハイッ」-これ以上ない大きな声がベンチ内に響き渡った。
先頭木檜の左中間二塁打を足場に一死、一、三塁として伊藤の右前適時打。なおも一死一、二塁。バッターは江田。もはや‘夏の名物’ともなった大応援団のエールを背に受け「今日もいける」 初球の甘い直球だった。打球は左翼手の頭上を越え、一気に二者を迎え入れ土壇場でまたも試合を引っ繰り返した。  (埼玉新聞 引用)   
1993年7月24日  対 大宮北高校  川越初雁球場
(平成5年 夏)

ど肝抜く土壇場の逆転劇

  
第75回選手権大会  4回戦
TEAM   R
大宮北 4 0 0 2 0 0 0 0 0 6
松 山 0 0 1 0 0 1 0 2 8
      
投 手 水 村-大 山-江 田 
捕 手 石 倉 
本塁打 伊 藤  
三塁打  
二塁打 江 田  木 檜 
’93 MATSUYAMA
SCENE
オーダー 出身校
1 上 田 [8] (東秩父)
2 伊 田 [5] (吉 見)
3 小 菅 [6] (坂戸住吉)
4 江 田 [3]1 (東松山松山)
5 桑 原 [9] (上福岡三)
  藤 井 R (鴻巣赤見台)
6 石 倉 [2] (北坂戸)
7 山 口 [4] (玉 川)
  山 崎 H (鶴ヶ島藤)
  高 徳 R (川越高階西)
  黒 木 4 (鶴ヶ島西)
  中 西 H (小川西)
  星 名 R (鴻巣赤見台)
8 木 檜 [8] (上福岡三)
9 水 村 [1] (坂戸住吉)
  大 山 1 (坂戸千代田)
  伊 藤 3 (東松山松山)
  ≪九回裏二死 伊藤殊勲の満塁弾≫
弾道の打球が左中間のフェンスを越えた瞬間、球場が歓喜の渦に巻き込まれた。2点差を追う松山が迎えた土壇場の九回、二死満塁の好機。カウント2-1からの4球目。真ん中低めのカーブだった。「一塁を回るまで分からなかった。」という伊藤にとって公式戦初の本塁打が何と満塁サヨナラ。「最高の気分です」と顔はくちゃくちゃだった。 初回に4点を先制されたうえ、四回にダメ押しとも見られる2点を奪われた松山。七回までは大宮北のペースで試合が運び、だれもが松山の勝利を予想できなかった。
 松山は十七人の選手を投入した全員野球。“最後まであきらめない”という松高イズムが土壇場の逆転劇を導いた。 
(埼玉新聞 引用)
1991年7月28日  対 春日部共栄高校  西武ライオンズ球場
(平成3年 夏)
  
第73回選手権埼玉大会 準決勝
TEAM   十一 R
松 山 0 0 0 1 0 0 0 0 1 0 0 2
春日部共栄 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 3
      
投 手 隈 谷 
捕 手 図子田 
本塁打  
三塁打  
二塁打 山 岸 
’91 MATSUYAMA
SCENE
オーダー 出身校
1 速 見 [8] (川越寺尾)
  小 林 H (上福岡一)
  8 (滑 川)
2 宮 崎 [7] (東松山松山)
3 山 岸 [9] (鴻巣吹上)
4 隈 谷 [1] (東松山東)
5 図子田 [2] (三 芳)
6 野 上 [3] (坂 戸)
7 佐々木 [5] (東松山北)
8 五十嵐 [6] (川越砂)
9 中 島 [4] (東松山東)
  春に大敗(0-14)を喫し、松高にとってはまさにリベンジマッチとなった、猛暑の西武球場。40度を超えるマウンド上で隈谷・原両投手はしびれる投手戦を展開した。1点を追う九回表、一死二塁から主将図子田の起死回生の中前打により山岸が生還し同点、八子団長の陣頭指揮のもと、大応援団で埋め尽くされたスタンドは興奮の坩堝と化した。そして迎えた延長11回裏、走者二塁に背負い、一打サヨナラの場面。180球を超えてもなお力投を続けた隈谷渾身の一球は共栄の四番橿渕に右中間へ運ばれ、夏の大一番は幕を閉じることとなった。松高ファンの間では今も語り草となっているこの大一番。秋ベスト8、春夏ベスト4と松高野球部史上最強と言われている代である。
 
1991年7月25日  対 南稜高校  大宮市営球場
(平成3年 夏)
           
第73回選手権埼玉大会 5回戦
TEAM   R
南 稜 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
松 山 0 0 0 0 0 0 0 5 × 5
投  隈 谷
捕  図子田

 松山の投打がガッチリかみ合った。投げては、エース隈谷が散発2安打完封。打っては八回、長短6安打を連ね、5点を奪い南稜に快勝。

                ≪逆境に強い精神力≫
 松山のサウスポーが乗ってきた。3,4回戦に続いての完封勝利。「今日は今までで最高のピッチング」としたたる汗をぬぐいながらニヤリ。小学四年生から野球を始め、昨夏は四番でベスト8まで進出。それまで投手経験はなく、本格的な投げ込みを始めたのは昨秋から。 冬場の走り込み、ウエイト練習で不安だったスタミナも十分ついた。技術的には万全な状態で夏を迎えた。
 そして、なにより一番の持ち味は逆境に強い精神力。‘女房役’の図子田捕手も「あいつはピンチに動じない。練習に限らず、試合前でも歌を歌って走ってるんですからね。」と陽気なエースに脱帽といったところ。
「たくさんの人が応援してくれるんで気分は最高。ボクは乗りやすい性格なんですよ。」と陽気なサウスポー。「準々決勝は直球で押していきたい。だけど、図子田がOKしてくれるかなあ」ペロリ舌を出した。
                                    (埼玉新聞 引用)
1991年6月1日  対 作新学院高校  宇都宮清原球場 
(平成3年)
           
埼玉・栃木定期戦
TEAM   R
松 山 0 0 2 1 0 0 0 0 0 3
作新学院 2 0 0 0 1 0 0 0 0 3
投  隈 谷
捕  図子田
本  山 岸
三  及 川2
二  田 中
              
1991年5月3日  対 浦和学院高校  大宮市営球場
(平成3年 春)

松山終盤奇跡の大逆転

  
春季県大会 準々決勝
TEAM   R
松 山 1 0 0 1 0 0 3 5 0 10
浦和学院 3 3 0 0 1 2 0 0 0 9
      
投 手 高 野-隈 谷 
捕 手 佐々木 
本塁打  
三塁打 隈 谷 
二塁打 宮 崎  図子田 
’91 MATSUYAMA
SCENE
オーダー 出身校
1 田 中 [4] (川 島)
2 宮 崎 [8] (東松山松山)
3 山 岸 [9] (鴻巣吹上)
4 隈 谷 [3]1 (東松山東)
5 図子田 [5] (三 芳)
6 五十嵐 [6] (川越砂)
7 [7] (滑 川)
8 佐々木 [2] (東松山北)
9 高 野 [1] (東秩父)
  野 上 3 (坂 戸)
 勝負はゲタをはくまでわからない。
松山がコールド負け寸前に追い込まれながら、逆転勝利をものにした。試合の流れから見て、勝利は九分九厘浦和学院のものだった。
七回、3点を返したところで主将の図子田は「もう完全に押せ押せだった。」と逆転を信じきっていた。続く八回に三番手を打ち込み5点を奪取、まさかまさかの逆転劇を演じてしまった。
(埼玉新聞 引用) 
 
1986年11月2日  対 東海大甲府高校  栃木市営球場
(昭和61年 秋)
           
秋季関東地区大会 初 戦
TEAM   R
東海大甲府 0 1 0 0 0 2 0 2 0 5
松 山 0 2 0 0 0 0 0 0 0 2
投  堀 田
捕  須 川
二  堀 田

 甲子園投手山本、久慈(のち阪神)を擁する“黄金時代”真っ只中の東海大甲府と対戦。エース堀田自らの左翼線2点タイムリーで一時逆転するものの、終盤に痛い2ランを浴び、強豪甲子園校の壁をぶち破ることは出来なかった。  
1986年10月12日  対 市立川口高校  県営大宮球場
(昭和61年 秋) 

松山 決定打奪えず

  
秋季県大会 決 勝
TEAM   R
市立川口 0 3 0 1 0 0 0 0 0 4
松 山 0 0 0 0 1 0 0 0 0 1
      
投 手 堀 田 
捕 手 宮 原 
本塁打  
三塁打  
二塁打 宮 原 
’86 MATSUYAMA
SCENE
オーダー 出身校
1 折 笠 [8] (坂 戸)
  松 田 H (東松山南)
  田 中 R (嵐山玉ノ岡)
  木 川 9 (小川東)
2 大 場 [4] (坂 戸)
3 清 水 [7] (鳩 山)
4 宮 崎 [3] (東秩父)
5 田 辺 [9]8 (富士見西)
6 堀 田 [1] (東松山北)
7 岡 田 [5] (嵐山玉ノ岡)
  町 田 5 (都幾川)
  松 崎 H (鴻巣吹上北)
8 石 井 [6] (東松山東)
9 宮 原 [2] (毛呂山川角)
 松山は、中盤から直球の増えた右腕牛山をとらえ、何度か好機を築いたが、巧みに変化球を織り込む牛山から決定打を奪えず、五回二死満塁から捕逸で1点を返したにとどまった。(埼玉新聞 引用)  

 
夏のメンバーである左腕エース堀田・主将宮崎が残り、西部地区新人戦優勝校として臨んだ秋季大会。花咲徳栄・秀明を破り、20年ぶり二度目の決勝進出であったが、効果的な本塁打を二本浴びてしまい、あと一歩のところで優勝旗に手が届かなかった。  
1986年7月22日  対 川越工業高校  浦和市営球場
(昭和61年 夏)

松山 井上が劇的サヨナラアーチ

  
第68回 選手権埼玉大会 3回戦
TEAM   十一 十二 R
川越工 0 0 0 0 1 0 0 0 0 1 0 0 2
松 山 0 0 0 1 0 0 0 0 0 1 0 3
      
投 手 堀 田 
捕 手 鈴 木 
本塁打 宮 崎  井 上  
三塁打 宮 崎 
二塁打 宮 崎  井 上  前 野
’86 MATSUYAMA
SCENE
オーダー 出身校
1 天 野 [4] (東松山松山)
2 大 浜 [6] (東松山東)
3 市之瀬 [9] (東秩父)
4 井 上 [7] (川越砂)
5 宮 崎 [3] (東秩父)
6 鶴 見 [5] (大 井)
7 高 橋 [8] (吉 見)
  前 野 8 (川越西)
8 鈴 木 [2] (東松山北)
9 堀 田 [1] (東松山北)
  両エースの投げ合いで延長に入り、松山が井上の右翼席に放り込むサヨナラ本塁打で競り勝った。十回、松山はこの日大当たりの宮崎が左本塁打を打ち、逆転につなげた。
(埼玉新聞 引用)
 
1984年7月29日  対 上尾高校  西武ライオンズ球場
(昭和59年 夏)

創部62年松山初の決勝進出

  
第66回選手権大会 決 勝
TEAM   R
松 山 0 0 0 1 0 1 0 0 0 2
上 尾 0 0 3 0 3 2 0 0 × 8
      
投 手 岩 崎-黒 川 
捕 手 笠 原 
本塁打  
三塁打  
二塁打 笠 原 
’84 MATSUYAMA
SCENE
オーダー 出身校
1 小野寺 [8] (川越寺尾)
2 野 中 [4] (都幾川)
3 宮沢歩 [9] (小川西)
4 笠 原 [2] (小川西)
5 滝 島 [3] (川越寺尾)
6 中 島 [7] (鴻 巣)
  木 通 H (上福岡二)
7 金 子 [5] (東松山松山)
8 岩 崎 [1] (東松山松山)
  黒 川 1 (上福岡二)
9 野 沢 [6] (東秩父)
 先手は取られたものの、四回には1点を取り返し「いけるぞ!」のムード。だが、五回に3点、六回にはダメ押しの2ランを上尾に打たれて敗色濃厚。応援団は全員立ち上がり、腕を振り上げ校歌や応援歌を斉唱。最後まで選手たちに惜しみない声援を送った。

―試合終了後、学生応援団が勝った上尾に「甲子園で必ず頑張ってきてくれ」とさわやかな応援を繰り広げると、上尾も「松山、ありがとう」と拍手を送り返すなど、いかにも高校生らしい応援風景。選手とともに勝ち負けにこだわらない松山の応援が今大会を最後まで盛り上げた―

≪選手をたたえる拍手の嵐≫ 
 「良く頑張った」「良くやったぞ」― 最後の打者が二ゴロに倒れて負けが決まった瞬間、総立ちで必死の応援を繰り広げていた松山の応援席からは、選手たちに向け割れるような拍手と健闘をたたえる声援が沸き起こった。―
創部以来、初の決勝進出。六十二年目にしてめぐってきた。“燃える夏”に、前日準決勝の倍を越す大応援団が三塁側スタンド上段まで埋め尽くした。

≪大健闘、涙はいらない≫ 
 東松山市は、地元・松山高校の初の決勝進出にわいた。
上尾に惜しくも敗れはしたが、むしろ市民は松山の健闘をたたえていた。同市内は、この日市民が大挙して西武球場に応援に駆けつけたり、テレビ観戦のために人通りは休日としては少なめ。東武東上線・東松山駅のぼたん通り商店街には有志が作った手製のスコアボードがお目見え。一回ごとに得点が記入された。また、役員が戦況を“実況中継”して通行人にサービス、人だかりが出来ていた。
 勝敗が決まった午後三時過ぎに、「祝準優勝」の横断幕がかかげられた。「松高はよく健闘しました。これからも応援をお願いします。」とのスピーカーが流れた。
(埼玉新聞 引用)  
1966年10月15日  対 大宮高校  川越初雁球場
(昭和41年 秋)
  
秋季県大会 決 勝
TEAM   R
松 山 0 0 0 0 0 1 0 0 0 1
大 宮 0 0 0 5 3 1 1 1 × 11
      
投 手 石 井-千 野 
捕 手 宮 井 
本塁打  
三塁打  
二塁打  
’66 MATSUYAMA
SCENE
オーダー
1 野 口 [4]
2 堀 田 [5]7
3 宮 井 [2]
4 青 山 [3]
5 白 戸 [9]
6 千 野 [7]1
7 石 井 [1]
  久保島 5
8 堀 脇 [6]
9 山 崎 [8]
 創部以来初の決勝戦を迎え、相手は優勝経験5度を誇る強豪大宮高。先発は準決勝を完封勝利で決めたエース石井。三回まで無安打で切り抜けてきたが、四回に相手の右安打を皮切りに、内安打・押し出し・三塁打などで一挙に5失点を喫してしまう。その後も効果的に点を奪われ、終わってみれば、1-11と力の差を見せつけられた。
 
1966年10月10日  対 飯能高校  川越初雁球場
(昭和41年 秋) 
           
秋季県大会 準決勝
TEAM   R
松 山 2 0 0 0 0 0 0 0 0 2
飯 能 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0
投  石 井
捕  宮 井
三  白 戸  野 口
              
1965年7月26日  対 熊谷商工高校  県営大宮球場
(昭和40年 夏)
           
第47回選手権埼玉大会 準決勝
TEAM   R
熊谷商工 0 0 0 0 2 1 0 1 0 4
松 山 0 1 0 0 0 0 0 0 0 1
投  竹 森
捕  中 村
二  石 沢  島 田
              
1956年5月4日  対 岩槻実業  県営大宮球場
(昭和31年 春) 
 
春季県大会 準々決勝
TEAM   十一 R
岩槻実業 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 2 3
松 山 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 1
投  市 川
捕  横山考
二  和 田
           
1936年7月21日  対  豊岡実業  県営大宮球場
(昭和11年 夏)
             
第22回中等学校選手権埼玉大会 初 戦
TEAM   R
松山中 0 0 0 0 0 0 0 0
豊岡実業 16 9 14 23 9 1 × 72
投  本 田-早 川
捕  玉 貫
 
             
≪よくぞやった敢闘精神≫
玉貫義雄(松山中 昭和12年卒)  
 昭和11年、記憶も薄れているが、少ない予算で用具を買い求め、練習に励んだ部員は15,16名であった。野球部長は千葉先生で、よく練習のときノックをしてもらった。監督は松中OBで早稲田大学野球部に属していた荒井達次氏が面倒をみてくれ、試合当日も采配をふるってくれた。
 試合当日は早朝からバスで県下唯一の大宮球場に意気揚々と到着、裏手の広場で監督から「今日対戦する豊岡実業は優勝候補といわれているチームだから、勝とうと思わないで体当たり精神でぶつかって行こう」と注意された気がする。裏手の広場で練習していた本田投手が運悪く突き指してしまい、投げられそうもないというのだ。とにかく投げられるところまで行ってあとは交代させるということで試合に臨んだ。 
 私は捕手だったが、変化球はほとんどボールとなり、カウントを整える直球が真ん中に入り狙い打たれた。試合中、全員が1点でも2点でも取ろうと必死で、棄権しようとする者など一人もいなかった。ただ夢中で7回が終わった。試合が終わってほっとした気持ちだった。翌日の朝日新聞に敢闘をたたえる記事が載ったのがせめてもの慰めだった。このため翌年から軟式野球となったと聞きおよんでいる。

                         (埼玉高野連史より抜粋) 

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